ドリップチューブの歴史
水を飛散させることなく広範囲に効率的に散水することができるドリップチューブ。散水機ドットコムでも大変好評をいただいております。しかし一方でこの不思議なチューブについて、一体どこから来たのか?そしてどのように出来上がったのか?意外とその事実は知られておりません。
今回はドリップチューブへの理解を深めていただくために、ドリップチューブの歴史をコラムにしました。ぜひ最後までご覧ください。
ドリップチューブはどこから来た?
元々、散水機というものは、水資源の少ない地域で発達していきました。日本は世界的に見ても水資源が豊富で散水機までは要らないという発想が一般的でした。ドリップチューブの技術は水危機が多く発生していたイスラエルにて誕生しました。
イスラエルでは元々「水を敬う文化」というものがあり、その背景には同国が抱える周辺環境、国土の大半に砂漠が広がり、それ以外の土地は半乾燥という性質を持ちます。また干ばつも珍しくなく、国内に広がるユダヤ教の教えには水に対する畏敬の思いが多く記されております。
ドリップチューブのはじまり
点滴散水については、実は古くから欧州で行われてきた手法で、地面に埋めた陶器の瓶に水を入れ、その瓶から漏れ出た水が植物の根に行きわたるというものでした。20世紀初頭にはこの手法が製品化され販売されていたそうです。しかし瓶に水を補給するのは人の手で行われ、現代の散水方法とは比べ物にならないほど非効率でした。
この非効率な散水を変えたのが写真の人物、シムハ・ブラス先生です。
ブラス先生は1930年代から50年代にかけて、イスラエルの基幹水利事業を手掛けていました。当時のイスラエルはドイツからのユダヤ人難民で急速に人口が増加しており、水事情も切迫している状況でした。ブラス先生は数々の事業を手掛けるも、職掌を巡る対立により職を退いてしまい、その引退生活の中でドリップチューブのを考案したと言われています。
きっかけは裏庭に生える3本の木でした。
ブラス先生が井戸の採掘の指導の為、ある村を訪れた際に、民家の裏庭に生える3本の木に気が付きました。3本のうち1本が元気に大きく育ち、青々としていました。
日差しや土質の条件は同じなのになぜ?この光景を疑問に思ったブラス先生、現象がドリップチューブ誕生の鍵となりました。
木が良く育っていた原因は漏水した水でした。
ブラス先生がその幹の根本を掘ると、農業用水の配管が出てきました。そしてその一部が破損して、水がしたたり落ちていました。水は一定にしたたり落ちており、この時の光景をブラス先生は長年記憶していたそうです。
戦後、樹脂の加工技術が向上するとともにブラス先生は現在のドリップチューブの原型を考案し、製品化されました。現在では世界各国でこのドリップチューブ方式が使われております。
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